第14章:終戦記念日
夫からの嫌がらせのメッセージは、日に日にその密度と狂気を増していった。
「子供と話したい」
そう言われれば、母親として取り次がないわけにはいかない。けれど、画面に表示される夫の名前を見るだけで、あの地獄の日々のフラッシュバックが容赦なくわたしを襲った。
いったん上海へ戻る意向を伝えると、夫からはそれを阻止するような、あるいは脅すような言葉が、鬼のような形相を想像させる勢いで送りつけられてきた。
『戻るなら経済的援助は一切しない』
『二度と上海の地を踏めないようにしてやる』
『あの男と一緒にいるなら、子供には二度と会わせない』
そんな一文もあったが、わたしは何も言い返さなかった。
(そこまでひどいことをするはずがない)
そう高を括(くく)っていたのだ。まかりなりにも一度は一緒に暮らし、子供をもうけた人なのだ。いくら激昂しているからといって、そこまで嫌なことができるはずがない。
それに、ふたりの関係がどれほど破綻していようが、ふたりの間に産まれた子供たちを巻き込んで、傷つけあうほど残酷にはなれないと、甘く見くびった思い込みが当時のわたしの中にあった。
確かに、上海の知人のなかには、夫の手回しのせいか、急に連絡が取れなくなった人もいた。不気味な影は感じていたけど、わたしには子供たちがいる。
そして、支えてくれるNもいる。実の母親が子供たちと引き離されるなんて、どう考えても起こり得ないことだと、わたしは信じて疑わなかった。
大阪に滞在している間も、Nは何度も会いに来てくれた。母にまだ彼の存在をきちんと紹介できないことには、心のどこかで強い後ろめたさを感じていたけ。けれど、この混乱が収まれば、いずれ時間が解決してくれるはず。そう自分に言い聞かせた。
夫からの経済的な援助に頼らずに済むだけの、自立した収入さえあれば。そうすれば、夫との連絡だって子供のことだけに限定できる。「経済的に自立しなければ」という思いは、日に日に強まった。
日本で仕事を探し始めたものの、子供ふたりを抱えたブランクのある身で、条件の合うものはそう簡単に見つからなかった。「やっぱり、上海に戻るしかないのかな……」
働きやすさやキャリアを考えれば、日本よりも上海のほうが自分に合っているのは明白だった。何より、実家のある大阪は、14歳で海外へ出たわたしにとっては、ほとんど暮らした記憶のない「見知らぬ街」。わたしの心のなかで、もう一度上海に戻るという決意がはっきりとした輪郭を持ち始めていた。
夏休みのある日、夫が名古屋へ戻ってくるタイミングで、「子供たちを一度よこせ」と要求してきた。新大阪駅のホームで待ち合わせて、子供たちを夫に引き渡した。 「明後日、またここに迎えに来るね」 そう言って、笑顔で子供たちを送り出した。
約束の日、新大阪駅へ迎えに行くと、何かの拍子に夫の逆鱗に触れてしまったようだった。夫は、人々がせわしなく行き交う駅の真ん中で、周囲の目も気にせず、わたしに向かって凄まじい罵声を浴びせ始めた。
通り過ぎる人々は、一瞬目を向けるものの、みんな見て見ぬふりをして去っていく。 恥ずかしかった。そして、何より子供たちの前でまたこんな風に罵られることが情けなかった。悲しみに身を震わせながら、わたしは子供たちの手を強く引いて、その場を逃げ出した。
「ごめんね、パパは心が病気だから、許してあげようね」
上海の家で殴られていた頃と、まったく同じセリフをまた口にしている自分に気づき、胸が締め付けられた。逃げるようにして地下鉄に飛び乗る。 隣に座った娘を見ると、小さな肩を震わせながら静かに声を殺して泣いていた。
その涙を見た瞬間、わたしの目からも、同じように静かな涙が溢れた。
(ごめんね…)
帰り道、夜空を見上げると、そこには見事な月が浮かんでいた。
「ママ、お月さま、綺麗だね!」
息子の無邪気な声が、夜の空気に響く。
「そうだね、本当に綺麗だね」
わたしは精一杯の笑顔を作って応え、家路を急いだ。
「パパの家も、楽しかったよ」
実家についてから子供たちが言ったその言葉に、安堵すると同時に、胸の奥がチクリと疼いた。それでも、ふたりにとって大切な父親であることに変わりはない。
その関係を、わたしの都合で壊したくはない。
「よかった!また遊びに行こうね」
無理に微笑みながらそう答えたけれど、内面では焦りが渦巻いていた。早く、一刻も早く自立しなければ。このままでは、また子供たちにあんな恐ろしい姿を見せることになる。
「病気だから」と夫をフォローすることしかできない、自分の無力さが激しく憎かった。 父親を憎ませたくないという親心が、かえって自分を袋小路へと追い詰めていることにも気づかないまま、わたしの頭のなかでは、娘の涙と夫の罵声が何度も、何度も不協和音のように繰り返されていた。
そんな時だった。上海での臨時の仕事のチャンスが、奇跡のように舞い込んできた。 上海に戻ろう。Nに会いたい。彼が本当にわたしをずっと受け入れてくれる確信も、仕事の長期的な保証もない。けれど、わたしにとっての「ホーム(居場所)」は、この大阪ではなく、あの上海。
「一度出国してしまったら、もう日本の警察はあなたを守れませんよ」
最後に安否確認の電話をくれた、女性警察官の引き留めるような言葉が耳の奥に残る。ダメかもしれない。また地獄に飛び込むことになるのかもしれない。それでも、わたしは上海で自分の足で立ち、人生をやり直すと心に決めた。
上海へ発つ日がきた。 まずはわたしが単身で上海へ渡り、大急ぎで仕事と生活の基盤を整えて、すぐに子供たちを迎えにくる。それまでの短い期間だけ、子供たちを夫の実家がある愛知県へ預けることになった。当時のわたしが考え抜いた生活を立て直すための最善の手段だった。
夫は上海で仕事をしていて、この愛知の実家には住んでいない。だから、これからの子供たちの面倒は、ここに暮らす義母がみてくれることになっていた。そのことは事前に義母と電話で話しており、お互いに協力していこうという了承もきちんと得ていた。
義母や兄嫁とはこれまで決して関係が悪くなかったし、義母との確かな約束もあった。いくら夫が激昂していても、家族の目の前でまともな話し合いすらできなくなるような真似はしないはず。
わたしはまた甘くみていた。どこまでも、都合のいい幻想を抱いていたのだ。
子供たちを連れて母と名古屋へ向かった。新幹線のなかでは、子供たちがいつものように「ママの隣がいい!」「わたしが隣!」と言い合っていた。それをいつものように 「もう、静かにして! 」と 苛立ちながら黙らせた。
これが「最後の時間」とわかっていたら、わたしはどうしていただろうか。時間が止まってしまえばいいと祈っただろうか。
「ママの隣がいい」と言ってくれる愛おしい我が子を、周りの目なんか気にせず、壊れるほど強く抱きしめて、気の済むまでそのわがままを聞いてあげただろうか。
ただ「静かにさせなきゃ」ということに頭がいっぱいで、ふたりの小さな手を握ることもせずに、ふたりの話を真剣に聞くこともせずに、わたしはスマホに目を落とし、そこに流れてくるくだらない芸能ニュースをぼんやりと眺めていた。
この瞬間にも、このかけがえのない日常がカウントダウンを始めていたとも知らずに。
夫の実家には、義理の両親と兄夫婦が揃っていた。 重苦しい空気のなか、母が、わたしがかつて暴行を受けたときの写真を取り出し、「こんな顔になるまで殴られて……」と震える声で話し始めた。
しかし、写真を見た義母は、冷ややかな視線をわたしに向け、突き放すようにこう言ったのだ。
「このぐらい、普通でしょう」
その瞬間、二階から夫が狂ったように怒鳴り散らしながら階段を降りてきた。
「お前が男といるからだ!」
「子供たちにも、お前の悪事は話してある!」
「慰謝料を払え!」
まともな話し合いなど、最初から不可能だった。激しい怒号が飛び交うなか、わたしは毅然とした態度を保とうと必死だった。
離婚したいこと、子供たちのこれからのことについては親として協力し合いたいことを、何とか伝えた。
「あとは、弁護士経由でお話しします」 言い残し、わたしは子供たちの姿を探しにリビングを出た。
部屋の外の廊下に、ぽつんと一人でいた息子を見つけた。駆け寄って小さな身体を強く抱き寄せた。
「すぐに迎えにくるからね。ママ、上海でしっかり仕事を探してくるから」 息子は、いつものように元気よくコクンと頷いた。
奥の部屋では、娘がいとこたちと楽しそうに遊んでいた。近寄るわたしに、「はーい、ばいばーい!」と、いつもの屈託のない笑顔で小さく手を振った。
これがふたりと普通に交わせる、最後の挨拶になるとは、この時のわたしは思いもしなかった。母と駅で別れ、わたしはそのまま一人、空港へと向かった。
8月15日。よく晴れた、終戦記念日のことだった。
(〜第15章:上海再上陸編へ続く)

