第15章 上海
上海へ戻る機内で、わたしは窓の外に広がる雲海を眺めながら、子供たちのこととNのことを交互に考えていた。
不安がなかったわけではない。けれど、それ以上に期待が胸を占めていた。
(きっと、すべてうまくいく)
何よりわたしの背中を押してくれたのは、別れ際の子供たちの屈託のない笑顔だった。少しは寂しがってくれてもよかったのにと思うほど、二人はいつも通り楽しそうに笑っていた。その姿に、わたしは心底救われていた。
(あのふたりは絶対に大丈夫、だからわたしも前を向かなきゃ)
ふたりの笑顔を消えない『お守り』のようにして、必死に胸に抱きしめることで、自分を支えていたのかもしれない。
経済的に自立して、正式に離婚を成立させる。正式なキャリアを積んで、大急ぎで子供たちを迎えにいく。そして、Nとの関係も今まで通り続ける。それができれば、人生は完璧だ。
期待を胸に浦東空港に降りたった。ゲートの向こうに普段は人を迎えに来ることなどないNの姿があった。見つけた瞬間、張り詰めていた緊張がほどけた。
(やっと帰るべき場所に辿り着いた)
魂が震えるような愛おしさを覚えた。
しばらく身を寄せることになったNの家は、わたしがこれまで住んだことのないエリアにあり、上海らしい活気に満ち溢れていた。
窓を開ければ、どこか懐かしい街のざわめきが聞こえてくる。その賑やかさは、わたしの心にこびりついた傷や、日本に置いてきた寂しさを紛らわせるにはちょうどよかった。
「上海に戻れた」 その事実に、深く安堵していた。
彼の部屋は整然としていた。寝室のクローゼットの一つが、綺麗にわたしのために空けられていた。
「ここを使って」
その言葉に甘えながらも、ふと、少し前まで、ここに婚約者の女性がいたのではないかという、図々しい嫉妬が頭をもたげる。
(嫉妬する権利なんてどこにもないくせに..)
自分の幸せのために上海へやってきた母親としての罪悪感。あるいは、まだ夫との籍も抜けていない中途半端な身の上。あらゆる後ろめたさを両手に抱えて、彼にすべてを用意してもらって、彼の過去に嫉妬するなんて…わたしは身勝手で滑稽な自分の心を軽蔑した。
Nは毎日どこかへ連れ出してくれた。家の物で気になるものがあれば新調しようと言ってくれたが、わたしはこれ以上彼に負担をかけたくなくて「このままでいいよ」と遠慮した。
毎日一緒に食事をし、同じベッドで一緒に眠る。ひと時も離れずに、そして離れたくないという思いが日に日に募っていった。
彼が自分の会社で働くようオファーをくれた時には驚いた。
「わたしにできるかな」
自信のなさからくるわたしの弱音の言葉は、そのたびにNに訂正された。
「やりながら覚えればいい。最初からできる人なんていないよ」
そうやって、自信を持てないまま、それでも彼にふさわしい自分になりたくて、必死に彼の会社で働き始めた。
ようやく生活になれてきた頃。夫から狂気じみたメッセージがまた届きはじめていた。 画面を開くたびに、血の気が引く文面が連なっていた。
「一生、お前の不幸を呪い続けてやる」
どこまで逃げても追いかけてくるような、凄絶な執着。上海というホームに戻り、やっと前を向いて歩き出そうとしたその足元を、底なしの沼に引きずり戻そうとしてきた。
夫の攻撃は、それだけにとどまらなかった。
「その会社は違法だ」
という嫌がらせのメールが執拗に届くようになった。調べてみると、Nと同姓同名の人物の実際に怪しい会社があった。
それを突き止めた夫は、水を得た魚のように執念深く、今度はNの会社そのものが違法だと、上海の警察に密告を繰り返すようになったのだ。
もちろん、やましいことなど何一つない。しかし、評判こそが信頼に繋がる仕事をしているNにとって、その執拗な攻撃は大きなダメージだった。
(わたしのせいで、また迷惑が..)
呪いはわたしのいちばん痛いところを目掛けて襲いかかってくる。
(次はビザだな)
上海で働くには就労ビザがいる。だけどわたしは持っていなかった。夫が警察を動かそうとしている以上、手続きを急ぐ必要がありそうだ。
Nは早めの取得を勧めてくれたが、わたしは「離婚が成立してからにしたい」と渋っていた。苗字が変われば再手続きが必要になりそれが面倒だと思ったからだ。
だがその「面倒」というわたしの甘えが、Nの会社に大きなリスクを負わせるかもしれない。
(これ以上、彼を困らせない。)
わたしは二度手間を覚悟でビザの手続きを進めた。 折しも日中関係の影響で規制が厳しく、取得できる確率は高くなかったが、なんとか無事ビザを手にすることができた。
予想通り、夫はすぐにわたしのビザを盾に攻撃を仕掛けてきた。
(やましいことは何もない)
そう胸を張れる自分になれたことが誇らしかった。どんなにひどい嫌がらせメールが届いても、子供のこと以外はすべて無視していられた。もう、夫の言葉に振り回されない。就労ビザは、確かな鉾となってくれた。
生活の土台が整ってきた。それと引き換えのように、日本の子供たちとの距離は、遠のきはじめていた。
