この自伝を書く前の私は、ただ本を出版することを目指していました。有名になって、子供たちに見つけてもらいたい――その一心でした。
だけど、原稿は思うようにまとまりませんでした。不思議なことに、書こうとすると体調を崩してしまい、不眠症で苦しむようになっていました。
当時の内容は、女性の幸せについて。いま思えば、当時の私には身の丈に合っていなかったのでしょう。
そもそも、わたし自身が幸せを感じられていなかったのですから。頭でっかちで、机上の空論だったエゴまみれの本は、結局、未完成のままになりました。
そんな最中の2025年8月。朝のメールをチェックしているとき、受信ボックスに見慣れない一通を見つけます。件名にこうありました。
「ブログを読みました」
震える手でメールを開きました。それは、今の子供たちの様子を知る、ある人物からのものだったのです。
「連絡せずにはいられなくてメールしました」
そこには、子供たちが今、自分の目指す未来に向かって、健やかに毎日を過ごしているという近況が綴られていました。
「ふたりがこのブログを知っているかはわからないけれど、元気ですよ」
この日ほど、嬉しい朝はありませんでした。画面を見つめる視界が、涙で激しく滲みながら、深い闇の中にいたわたしに光が差し込み、消えかかった灯が、蘇ろうとしている。
ブログが届くかもしれない。
一筋の希望の光を手繰り寄せるように、この物語を書き始めました。前に少し書いていた自伝の続きを読みたいと言ってくれた友人の言葉が後押しになり、自伝小説として再スタートを切ったのです。
けれど、それでも当時の動機は、まだまだべっとりとエゴにまみれていたように思います。
わたしの正しさを証明したい。
認めてほしい。
許してほしい。
何年も押し殺していたエゴの無念の叫びに突き動かされるように、わたしは原稿を書き進めていました。
ただ事実を並べるだけの自伝では、苦しすぎて向き合えなかったかもしれません。 事実は頭が忘れていくけれど、心に残った物語は、きっとずっと消えない。そう思って「自伝小説」というかたちを選ぶことにしました。
物語というフィルターを通すことで初めて客観的に、ずっと見たくなかった過去に、言葉という光を当てていくことができたのです。
そうして「自伝小説」を書き進めるうちに、わたしの中の何かが変わり始めました。静かに、けれど確かに、過去と今が変わり始めたのです。
最初の変化は元夫へ対するものでした。あの烈しい嵐の中で、わたしを傷つけ、すべてを奪った元夫の、あの狂気のような攻撃の奥にあった「飢え」が見えたのです。
彼はただ愛に飢え恐れに怯え叫んでいた。
裏切りを恐れ悲鳴を上げる哀れな人間だと見れるようになりました。彼へ対する深い憎しみは深い慈しみに変わりだします。
ふたつめは、わたし自身へ対するものでした。 無責任に子供を捨てた母親だと自分のことを責め、罪悪感の檻に閉じこもっていたわたしは、そこから出るために、子供たちに許しを乞うていました。
けれど、本当に必要だったのは、わたしが私を赦(ゆる)すことだったのです。 自分の苦しみから逃れるために、子供たちに許されたがっている―そんな自分の「傲慢さ」に気づいたとき、胸を締めつけていた罪悪感の檻が開き、そこへ優しい愛が流れ込んできました。
誰かに許される必要なんて
最初からなかった
そう、気づくことができたのです。
みっつめは、長年の後悔についてでした。 あのとき、なぜ私は声を張り上げて、なりふり構わず子供たちを取り返さなかったのだろう。冷薄な母親だったのではないかという後悔が、ずっと胸の奥に沈んでいたのです。
けれど、自伝小説を書いていくなかで、あの沈黙は私なりの「愛のかたち」だったのだと思えるようになりました。薄情などではなく、気高い決断だったのだ、と。
親も子も、それぞれ魂は対等です。子供を自分の所有物のように扱い、泥沼の醜い争いに巻き込みたくない――それは、私なりの「美学」だったのです。
自分を正当化したいわけではありません。けれど、過去の自分を赦すことができない間は、本当の意味で愛を表現することは難しいのだと思います。
過去の選択を「美学」として受け入れたとき、ようやく、当時の自分を赦すことができました。
こうして、わたしのなかにあった憎しみは慈しみに、罪悪感は愛に、 後悔は美学に、自伝をとおして昇華されていったのです。
もうひとつ、自伝小説をとおして気づいたことがありました。 親子が断絶してしまう本当の理由は、憎しみではなく「恐れ」だということ。
傷つくことへの恐れ、愛を受け取ることへの恐れ。恐れが冷たい壁になり、互いを遠ざけてしまおうとするのではないでしょうか。
どちらか一方が、その恐れを克服して、自ら愛の器を広げることができたなら、悲しみは消えるのではないか。
実は、わたしの母も親子断絶を経験しています。まるで家系のカルマのように連鎖しているこの悲しみを、どうにかわたしで終わらせたい。そのような強い気持ちもあって、この物語を書き終えることができたと思います。
さいごに。遠く離れた場所にいる、愛おしい子供たちへ。 あなたたちが、世界のどこかで、ただ健やかに、ただ幸せであってくれたら、それでいい。
ずっと、あなたたちに認めてもらわなければと思っていました。それがあなたたちの幸せにつながると思っていたから。そして、わたしの幸せは、あなたたちとの関係次第だと思ってました。
だけど、わたしはいま充分に幸せで、このうえなく満たされている。
心から愛する人と、愛に溢れた、驚くほど穏やかな世界を生きています。あの地獄を知っているからこそ、いま、目の前にある平穏な日々が心の底からありがたいのです。
そして、この平穏な日々の中で、いつでも空を見上げれば、愛おしいあなたたちの存在を色褪せることなく感じます。
わたしの心の真ん中には、いつもあなたたちの笑顔がある。それはまさに、愛は時間を超えるという言葉の体現です。
人は、何か大きなものになるためではなく、ただ愛するために、そして愛されるために生きているのかもしれません。
この自伝小説が、いつかあなたたちの心を守る盾として役に立つ日がきたら、こんなに嬉しいことはありません。
もし人生のどこかで、離れていたものが再びつながる奇跡があるなら―そのときは、満面の笑みで再会を喜ぶでしょう。
(完)
田原あゆみ 2026.7

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