07. 自伝小説 

My Story

第7章 八方塞がり 

重たい身体を引きずってバスルームに向かった。恐る恐る鏡をのぞき込むと、そこに亡霊のような女が立っていた。青白い顔は腫れ上がり、目は充血し、耳からは血の流れた跡が残っている。

「誰?」

思わず手を伸ばした。コツン、と冷たいガラスに指先があたった。それは紛れもなく、わたしだった。

しばらくそのまま鏡の前に立っていた。それから「とにかく病院に行かなきゃ」と言い聞かせるように小さな声でつぶやいた。


かかりつけの病院に行くのは気まずい。少し離れた、車で30分ほどのところにある外国人専門の病院を予約した。診断は全身打撲、耳の外傷、目の毛細血管の破裂。

ドクターが躊躇いながら聞いてきた。

「この傷は、どうしたんですか?」

答えに詰まっていると、少し間を置いてから続けた。

「警察に通報したほうがいいと思いますよ」
「いいえ、大丈夫です。家のことなんで」

とっさにそう答えていた。ドクターはため息をついた。

「みんなそう言うんです。家のことでもこれは傷害事件ですよ?」

わたしは下を向いて「ありがとうございます」とだけ言って、湿布と塗り薬を受け取り、逃げるように病院を出た。



(警察沙汰にすることだけは避けないと)

頭をよぎったのは、夫が以前おこした暴行事件のことだった。もみ消したはずなのに、しばらくの間、夫だけが出国できなかった。

年末に家族で日本に帰省しようと空港に向かったあの日、夫だけが別室に連行され、そのまま家に戻ることになった。あの時の子供たちの顔が忘れられない。何が起きているのかわからないまま、不安そうにわたしを見上げていた。

わたしにどれだけひどくても、子供たちにとっては自慢の父親であってほしい。だから、夫を犯罪者にしてはいけない。それだけは、譲れなかった。


この頃になってようやく、わたしは自分がDV被害を受けているのだと認識しはじめた。言葉にすると簡単だが、そこに辿り着くまでに随分と時間がかかった。

情報を集めるうちに「DV相談窓口」というものがあるのを見つけた。電話口に出た女性の声は穏やかだった。

「どちらにお住まいですか?」
「上海です」

しばらく保留音が流れた。再び電話に出た女性の声は、先ほどと同じように丁寧だった。

「申し訳ありません、海外からのご相談は受けられないんです」

丁寧さが余計に冷たく痛く響いた。

何人かの友人にも相談してみた。みんな心配してくれたが、返ってくる答えはいつもほとんど同じだった。

「でも、、離婚は子供がかわいそうでしょ?」

心配してくれていたアーイが、ある日電話番号を渡してきた。

「この人に相談してみてください」

教会の関係者だという。連絡を取って、話を聞いてもらった。答えはやはり同じ。「離婚は子供がかわいそう。わたしが変われば、夫も変わる。」

何度聞いても、返ってくる言葉は同じ。

「離婚は子供がかわいそう」

いつしかその言葉は、わたしのお守りになっていた。離婚しない理由として、踏みとどまる理由として。その言葉にしがみついてさえいれば、幸せになれると信じていた。今思えば、それはお守りではなく呪いだったのかもしれない。

そのうちお守りも、限界を迎える日がやってくる。警察沙汰は避けようと思っていたにもかかわらず、結局どうにもならないことが起きて、わたしは警察に助けを求めた。

「家のことでも傷害事件ですよ」と心配してくれたあのドクターの言葉が、背中を押してくれた。通報することが抑止力になってくれればという、かすかな期待もあった。

震える指で110を押した。はじめてかける警察は、思いのほかスムーズだった。住所を告げると、10分ほどでふたりの警官がやってきた。

「どうした?」
「夫に殴られているから、助けてほしい」

警官は面倒そうな顔をした。夫にパスポートを出すよう言い、手帳にメモを取った。それからわたしに向かって「病院を紹介するから今すぐ行け」と言った。病院に行くほどの怪我ではないと伝えると、警官はメモ帳を閉じた。

「じゃあ気をつけろ」

それだけ言って、ふたりは帰っていった。

当時の中国では、家庭内での暴力はまだ取り締まられていなかった。心配してくれたあのドクターは、DVに厳しい国から来た人だったのだろう。中国でDV法が執行されるのは、この数年後-2016年3月1日のことだった。

すべてのことが八方塞がり。警察は助けてくれない。日本のサポートも受けられない。親は遠い。教会ではわたしが変わるようにと言われる。離婚は子供たちがかわいそう。じゃあ、どうすればいいの?

出口のない迷路の中で悶々としていたある日、上海では珍しく働きながら子供を育てている友人と久しぶりに食事をした。

「なんで働かないの?」
「そんなの無理だよ、中国語もそんなに話せないし」

反射的にそう答えたその会話の切れ端が頭の中で何度も繰り返された。そして、ふと閃いた。

自立しよう。

わたしが自立して、子供たちと三人で暮らせばいい。別居なら、子供がかわいそうとも言われない。


わたしはさっそく仕事を探し始めた。タイミングよく友人のお店でアルバイトを募集していた。連絡すると「明日からでも来てほしい」と言われた。久しぶりに社会から必要とされてるようでうれしかった。時間の融通もきくという。ここなら大丈夫だろう。来週から行くことを決めて夫に伝えた。

「そんな安月給で働いてどうする」

あっけなく反対された。時給は安くても条件は悪くない。知り合いのお店だから安心だと言っても聞く耳を持たない。わたしは諦めて、断りの連絡を入れた。

給料が高ければいいのかと、今度は給料の高い会社を探した。外資系の調査会社に採用され、その話をすると今度は「子供はどうするんだ」と顔を曇らせた。「アーイもいるし大丈夫」と言っても「子供がかわいそうだ」の一点張り。ここも断念した。

子供と一緒ならいいのかと、次は子供たちの通う幼稚園の園長に掛け合い仕事をもらった。幼稚園で子供たちの様子がうかがえるし、先生たちとも仲良くなれるのは悪くなかった。けれど給料ではなく学費を割り引くという契約だった。

このままでは自立の目処が立たない。それでも、諦めるわけにはいかない。次こそは、夫に言わないですすめることを固く心に誓った。

つづく 

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