07. 嘘 

My Story

第5章 嘘 

子供たちが幼稚園に通いはじめると、アーイ(お手伝いさん)が来てくれるようになった。

お手伝いさんは上海では珍しいことではなく一般的で、わたしが楽になるのならと夫が手配してくれた。

アーイは平日朝9時から17時までくることになった。もう少し短くてもいいと思ったが、友人たちはむしろ住み込みにすればいいと笑った。上海ではそれが普通らしかった。

アーイには料理以外の家事と子供たちの世話を手伝ってもらった。そうなると、わたしの平日はとくにやることがない。

人脈が広がるにつれ携帯が鳴る回数も増えていき、最初は昼の誘いだけ受けていたが、そのうち夜の誘いも届くようになり、それを断るのがだんだん惜しくなっていった。

上海では珍しいクリスチャンのアーイは、愛想がよく、子供たちもよくなついた。わたしとも気が合い、一緒に教会に行くほど仲が深まっていった。

夫と過ごす時間よりも彼女と過ごす時間の方が長くなっていくにつれ、いつしかわたしは彼女を姉のように慕うようになっていた。

プライベートな話もお互いによくするようになった。ある日、彼女も夫から暴力を受けていることを知った。

「同じだね」とわたしが言うと、彼女は少し笑って「でも、あなたの旦那さんはお金があるからまだマシですよ」と言いつぶやいた。「あぁ、お金を稼ぎたい」

金曜日の夜になると、彼女はきまってわたしの心を見透かしたように聞いてきた。

「今日の夜、残業しますよ」
「用事があるんでしょ?」

「え、でも、、、」


言葉につまっていると、「子供たちは大丈夫だから」と彼女が言い、奥から「ママいってらっしゃーい」と愉快そうな声が返ってきた。わたしは急いで、出かける準備をはじめた。

どうせ夫は深夜まで帰ってこない。それまでに戻ればいい。アーイだって時給が増えて喜んでいる。子供たちだってぜんぜん気にしていない。わたしだって、少しくらい気晴らししたっていいじゃない。

こうして、夜の上海に出かけることが増えていった。


当時の上海には、日本人が10万人ほど住んでいた。今より景気がよく規制も緩やかで、日系企業はこぞって進出し、個人経営の店のオープンラッシュがひっきりなしに続いていた。

上海の夜はまさにバブル。毎晩どこかでオープニングパーティのような催しが開かれていて、まだ日本人の女性が珍しかったこともあり、わたしはそういった席によく招待されるようになっていた。

あるパーティーに参加したとき、会場で記念写真を撮った。それが店内に飾られていたらしい。数日後、たまたまその店を訪れた夫の友人がその写真を見つけ、「奥さん、あのパーティーに参加してたんですね」と夫に告げた。

その夜、夫は激怒しながら帰ってきた。

「夜は出かけるな!」
「子供がかわいそうだろ!」

「何がダメなのよ!」
「誰にも迷惑かけてないでしょ!」

言い争いは増えていった。それでも、わたしは誘いを断らなかった。断る理由が見つからなかったからだ。

文句を言われる筋合いはないと思っていた。どれだけ遅く帰っても、翌朝にはいつもどおり夫の朝食を作り、子供たちを学校に送り出している。アーイの助けを借りているにせよ、時給が増えると彼女はいつも嬉しそうだ。

子供がかわいそうというけれど、まったく寂しがってもいない。「かわいそう」と言い続けることの方が、よほどかわいそうではないか。それより、父親はどこにいるというのか。

夜に出てはいけない理由が、わたしにはまったくわからなかった。夫が深夜まで帰らないのも、たばこと酒の匂いをまとって帰ってくるのも、誰といたかを告げないのも、それは「仕事」というひとことで許される。

なのに、わたしが友人と夜出かけることは許されない。子供たちのことも、家のこともちゃんとしているのに。

わたしには仕事がない。だから、夜に出てはいけない。そういうことらしかった。

何度か話し合いを試みたが平行線で夫の答えはいつも同じだった。

「ダメなものはダメだ」

わたしはそのうち、アーイにこっそり頼んで夫に内緒で出かけるようになった。新しく知り合った男性の連絡先は女性の名前で登録した。出かけるときの服と帰るときの服は取り替えた。ひとつだった嘘は、ふたつ、みっつと増えていった。

ある冬の夜のこと。金曜日だったこともあってタクシーがなかなかつかまらず、家に着いたのは午前0時を過ぎた頃だった。

タクシーを降りると、冬の夜気が一気に身体を包んだ。足早にマンションのエントランスを抜けて家に向かう。廊下の先に灯りが見えた。(やっと暖まれる)その安堵とともに、バッグの中から鍵を取り出してドアに差し込んだ。

開かない。

もう一度、押してみる。

動かない。

内側から、鍵がかけられていた。

「アーイ?」小さく声を出してみたが、返事はない。しばらくそのまま立っていると、奥から怒りを踏みつけるような足音が扉の前で止まった。

「帰ってくるな!」

さっきまでとは別の寒さが背筋を走った。

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