沈みゆく日々 

My Story

第4章 沈みゆく日々 

暴力癖は妊娠中からだった。

きっかけはいつもわたしの交友関係。もともと交友関係が広く、男友達が多いわたしは、結婚してからもそのことを気にせず連絡をとっていた。

「男と連絡してただろう!」

家に帰ってきたとたん、わたしのパソコンをチェックする。男の名前のアドレスを見つけると、その場で電話をさせられる。

何もないことを証明するために、わたしは電話をかけ「何もない」と言ってもらう。そして「もう連絡しない」と目の前で宣言する。

こうして友人を失っていった。その相手が夫の友人であっても、家族であっても、変わらず不機嫌になり、束縛はひどくなった。

(こんなことをされる女ではなかったのに)

恥ずかしくて相談なんて誰にもできなかった。昔のわたしなら、こんなことは許さなかっただろう。意志が強くて、白黒はっきりものを言う—そんな強い女だったはずなのに。

わたしは日々の鬱憤を日記に書くようになった。誰にも言えない気持ちは書くことで昇華される気がしていた。

しかし、ある時から、この日記が誰かに見られている気配を感じた。わたしは念のためにとすべて英語で書くようになった。

数日後、いつもの場所にノートがない。英語のわかる人に夫が翻訳させていることがわかった。翻訳を頼まれた本人が心配してこっそり連絡をくれたのだった。

束縛は次第に暴力に変わっていった。はじめて妊娠中のお腹を蹴られたときは、すぐに離婚を考えた。

けれど、反対を押し切って結婚をした手前、こんなにすぐに終わらせることはできない。

暴力以外は優しいし経済的には不安はないことだけでも離婚しない理由としては充分だった。

周りからは「愛されてる証拠よ」と勇気づけられたりもした。

「私が気をつければいい」と問題に蓋をした。現状維持がわたしにできる最善だった。

ふたりめを出産してから1年経たないうちにわたしは3人目を妊娠した。「産んでほしい」と願う夫を無視して堕胎した。

帝王切開で3人の出産は肉体的にも厳しいと言われていたし、精神的に無理だった。

この決断は、自分を優先させたことへの罪悪感になった。2度と同じ悲しみを味わいたくない、わたしは内緒で避妊手術を受けた。

それがのちに見つかり「夫の許可なしに」とひどく責められた。言い返したい言葉はぜんぶ飲み込んだ。

手術が重なり回復には時間がかかった。家で子育てに専念していた頃のわたしが、夫にとっては理想だったのだろう。


子育てに専念したところで、わたしはやっぱり幼かった。外の世界への好奇心は消えず、平凡な幸せに辟易して、外の刺激にどこまでも飢えていた。

応援していたはずの夫の成功も、うまくいくほどに嫉妬が募った。

(わたしばかり我慢して)醜い声が頭の中で叫んでいた。

家にいさえすれば夫は機嫌がよかった。よい父親でもあったし、不自由のない生活を与えてくれていた。

それなのに、何が不満なの?何を求めているの?

束縛されるのも、殴られるのも、
わたしのせい。
いつからこんな人間にー

自分を責めることで、辻褄を合わせた。

言葉にならない苛立ちは、昇華されないまま、身体のなかに蓄積し、欲望の形をして少しずつ浮かんできた。

もっと、いろんな人と知り合いたい。
もっと、知らない世界を見たい。
もっと、もっと。

とめどない欲望は、禁じられるほどに増していった。そして「つながり」を引き寄せはじめた。

学校関係のつながり、習い事のつながり、人種を問わず上海中に人脈の渦が広がっていく。そのうねりの中に、わたしは静かに沈んでいった。

つづく 

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