第3章 上海の摩天楼
数年後、夫は起業した。
当時の上海で日本人が会社を興すというのは、言葉にすれば簡単でも、実際には難しいことで、それでも、このまま会社にすり減らされていく夫を見ていたくなかった。
何より、もっと家にいてほしかった。子供たちと過ごす時間をもたせてやりたかった。
迷う夫の背中を、わたしは押した。
「やってみようよ、あなたなら絶対に大丈夫だから!」
資金繰りに奔走し、山のような書類と格闘しながら、ふたりでなんとか小さな工場を立ち上げた。会社の名前は、息子の名前から一文字もらった。
貯金があったわけではなかったし、幼い子供たちを抱えたまま、安定を手放すことは怖かった。
けれど、それ以上に、夫がやりたいことに向かって走っていける、その後押しができたことが、純粋に嬉しかった。
折よく上海のバブルも追い風となり、夫の会社はみるみる成長していった。
経済的な余裕が生まれ、ふたりの子供たちはインターナショナルスクールへ通うようになった。
広い家へ引越し、家事を手伝ってくれるお手伝いさんも雇うようになった。
周囲からは「しあわせだね」とうらやましがられ、結婚に反対していた両親も、ようやく安心した顔を見せるようになっていた。
スマホの画面越しに子供たちと話す父と母の嬉しそうな表情を見るたび、親孝行ができているのだと、胸のどこかがほっとした。
何不自由のない、絵に描いたような「理想の家庭」を築いてくれている夫のことが誇らしかったし、心から、支えたいと思っていた。
この幸せを、永遠に閉じ込めておきたい。
そう願う気持ちの裏側で、心の奥にある小さな違和感が、じわじわと育っていた。
(そう、わたしはしあわせ。不満なんてあるはずがない。)
そう言い聞かせながら、違和感を何度も飲み込んでいた。それはつまり、本当は違っていたということだった。
「ママ、これ読んで」
お気に入りのうさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱いて、ペネロペの絵本を差し出してくる娘。
テレビを見終わった息子が「ママ、オートマンで遊ぼう!」とウルトラマンの人形を振り回しながら飛びかかってくる。
3人でベッドに座ってだらだらと過ごすこの寝かしつけの時間が、わたしには物足りなく感じた。
ベッドの上でぎゅっと寄り添ってくるふたりの温もりが、どれほど得難いものかを、まだ知らないわたしには、この宝物のような時間が退屈で、そしてなぜそう感じるのかもわからなくて、宛先のない苛立ちは
「もう、わかったから、早く寝なさい!」という荒げた声に姿を変えた。
独立してからの夫は、以前にも増して忙しくなっていた。もう少し落ち着けば子供たちと過ごす時間も増えるだろう、そう期待する自分が、毎日のように裏切られていくことも苛立たしかった。
夫は夫の世界へ、子供たちは子供たちの時間の中へ。わたしだけが、どこにも属せないまま、何も変わらないままーーー
それでも、まだこの頃はよかった。
ふたりが乳飲み子だった頃、なかなか寝付かないふたりを抱いて、広いリビングをあてどなく歩き回り、何度いっしょに泣いただろう。
ようやく寝かしつけた夜は、よくひとりでバーボンを飲んだ。氷の音だけが、静かな部屋に響いた。
24階の窓の外に広がる祝祭のように輝く上海の摩天楼が、「お前には関係ない」といいたげに、遠くに滲んで現れては消えた。
ある夜、ようやくふたりを寝かしつけたころ、夫から電話が鳴った。
「上海を出ないといけないかもしれない」「訴えられた」
声は、怒りに震えていた。
「どうしたの?」
静かに聞き返すわたしの胸にはすでに予感があった。
(きっと、また——)
深夜2時、たばこの匂いを全身にまとった夫が帰ってきた。
「あの男が悪いんだ」
苛立ちをぶつけるような言葉は攻撃的で、耳を塞ぎたくなるのをこらえながら、わたしは黙って話を聞いた。
夫が会社で社員を殴り、怪我を負わせたという。当の社員は穏便に済ませたいようだったが、中国人である彼の妻がそれを許さず、警察沙汰になりかけていた。
「訴えられたら、上海にいられなくなる」
わたしは目を閉じた。日本に帰るイメージが、静かに浮かんだ。
それも悪くない。日本に戻ったほうが、わたしたちは変われるかもしれない。
夫の「あの癖」直せるかもしれない。
つづく
ここから先は、長い間、自分でも蓋をしていた記憶ですが、わたしのなかの真実として残しておこうと思います。心の歴史として。

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